パパみ~ぞのブログ

パパみ~ぞの映画と食を中心とした雑記ブログ

SF映画だけど「贖罪」の難しさをきちんと描いた秀逸な映画「アナザー・プラネット」

「アナザー・プラネット」という映画をご存知でしょうか。

 

 

2011年のアメリカ映画ですが、日本では劇場未公開だったとのこと。
現在は、ブルーレイなどで鑑賞可能です。

 

主人公のローダは幼い頃から木星に魅せられ、天文学者を夢見る17歳。

彼女は17歳でMITに合格する秀才で、人生は順風満帆です。

 

まさにこれからという矢先、パーティーで酒を飲んで帰る途中、夜空に「見たこともない星」を見つけて気を取られ、信号待ちをしていた1台の車に激突し、彼女の人生は一変します。

 

「見たこともない星」とは、実は地球にそっくりな星で、大空に「第二の地球」が突然現れたと巷で大きなニュースになっていたのです。

 

相手の車の著名な音楽家であったジョンは一命をとりとめたものの、妊娠中の妻と幼い男の子の3人もの命を奪ってしまう痛ましい結果になってしまいます。

 

ローダは事故後刑務所に入り、4年間服役。夢見た天文学者への道は閉ざされます。

 

刑期を終えたローダは、優秀な彼女の能力を活かせる職をあえて断り、人と関わらずに済む清掃員の仕事を選びます。

 

そして、自ら犯した罪の深さに日々苛まれながら、黙々と職場の高校の校舎の掃除に没頭します。

 

やがて、偶然、ローダは事故現場を再度訪れた時に、ジョンが事故現場に立ち寄り、幼かった男の子への贈り物をいまだに置き続けているのを目撃します。

 

そして、ローダはジョンに謝罪をするために勇気を振り絞って彼の家を訪ねるのですが、一切の謝罪の言葉を言いだせないまま、清掃業者だと嘘をついてしまい、定期的にジョンの家を掃除することになります。

 

最愛の妻子を亡くしたジョンは、酒浸りの荒んだ生活をしており、家の中も荒れ放題です。


ローダは、定期的にジョンの家を掃除するうちに、そんなジョンを少しでも助けたいと考えるようになります。

 

そうして、二人は、ゲームをする機会があったり、食事をしたり、徐々に交流を深めていきます。

 

荒んでいたジョンの心は徐々にローダによって癒され、やがて二人は男女の関係に。

 

その頃、空に浮かぶ「第二の地球」へ行こうというプロジェクトが企画され、渡航希望者が一般からも募集されます。

 

ローダは4年間の刑期を終えて間もなく、これに応募していたのですが、見事に選ばれ、渡航チケットを手に入れます。

 

地球にそっくりな「第二の地球」には「もう一人の自分」がいるらしいということが科学者の検証でわかり始めています。

 

「第二の地球」へ行くことを告げにジョンの家を訪れたローダは、行かないでくれと懇願するジョンに、ついに自分が事故の加害者だということを話し始めます。

 

ジョンはあまりの真実に驚愕し、しかし、愛し始めていたローダに向かって「今すぐに出ていけ!!」と怒鳴りつけざるを得ません。

 

取り返しのつかないほどの傷を負わせた側と、負わされた側。

 

なじられて、拒否されて、追い出されて、ローダもジョンも双方がひどく傷つく結果になってしまいました。

 

そんな中、ローダはある決心をして再びジョンの家を訪れます。

 

その決心とは、「もう一つの地球への渡航チケット」をジョンに譲ること。

 

実はローダは、二つの地球は「ある地点」まではそっくりだったが、互いの存在に気づき、干渉し始めた瞬間に道が分かれた、という仮説を耳にしていました。

 

そして、ローダは考えたのです。

 

事故が起こった時点では、もう一つの地球が発見されていた。

 

だとすれば、「第二の地球」ではあの事故は起きず、ジョンの妻子は生きているかもしれない。

 

自分が「渡航チケット」をジョンに譲れば、ジョンは「第二の地球」で妻子に会えるかもしれない。

 

それが彼女の考えた最後の「贖罪」の形でした。

 

再びジョンの家を訪れたローダがそっと置いていった「渡航チケット」の意味をジョンは理解し、そして受け入れます。

 

4ヵ月後、訓練を終えてジョンは「第2の地球」へと旅立っていきました。

 

そして、ラスト、あてもなく歩いていたローダは、ふと、前から微笑みかける「第2の地球」から訪ねてきたローダに気付きます。

 

「第2の地球」のローダが自分を訪ねてきたのはなぜ?

 

ジョンは「第二の地球」で妻子に本当に会えたの?

 

非常にいろいろな疑問を観るものに残しながら、映画はここで終わります。

 

この映画、大空に「第2の地球」が現れるというSF映画のシチュエーションを使いながら、実は普遍的な人生の真実を実にしみじみと描いています。

 

それは、「罪を犯してしまったのなら、その罪から、自分自身から逃げることはできない。罪と正面から向き合って生きるしかない」ということ。

 

その普遍的な真実を、このような奇抜なSF映画のシチュエーションと、淡々と静かに描かれる物語によって、観客に見事に訴えかけてきた秀逸な映画でした。

 

もし未見の方はぜひご鑑賞あれ。