高倉健さんが本当にローカル線の駅長さんにしか見えなかった「鉄道員(ぽっぽや)」
浅田次郎さんの短編小説「鉄道員(ぽっぽや)」を降旗康男さんが監督し、故・高倉健さんが主演して映画化した1999年の日本映画「鉄道員(ぽっぽや)」を紹介させてください。
大好きな故・高倉健さんの出演映画の中でももっとも好きな映画のひとつです。
★ご注意★
ご紹介の都合上、内容が映画の種明かしにも触れています。恐れ入りますが、ご自身のご判断でお読みください。
主人公の佐藤乙松(おとまつ)は、北海道の廃止寸前のローカル線「幌舞線(ほろまいせん)」の終着駅・幌舞駅の駅長です。
鉄道員一筋に生きてきた彼も定年退職の年を迎えており、また同時に彼の勤める幌舞駅も、路線とともに廃止されることになっています。
乙松はこれまで鉄道員一筋に生きてきました。何よりも仕事を大切にし、そして部下や同僚を気遣い、「乙松さん」と慕われています。
乙松には家族がいません。
乙松には静枝(大竹しのぶ)という妻がいたのですが、元々身体が弱く、いまから2年ほど前に病気で亡くなってしまいました。
妻が亡くなる日、乙松は仕事から離れられず、妻の最期を看取ってやることができませんでした。
また、乙松と静枝の間には結婚後17年を経てようやく授かった雪子という一人娘がいたのですが、生後わずか数ヶ月で病死してしまいました。
そして、大切な一人娘の雪子が亡くなる日も、乙松は仕事から離れることができず、娘の最期を看取ってあげられませんでした。
乙松は仕事を優先するあまり、妻静枝の最期も、一人娘雪子の最期も仕事から離れられず看取ってあげられなかったのです。
正月に、一人暮らしの乙松のために、同僚の杉浦仙次(小林稔侍)がご馳走と酒をもって来てくれます。
杉浦は幌舞線の機関士などで乙松とは長年苦労を共にし、乙松とは互いに"乙さん"、"仙ちゃん"と呼び合う仲です。
杉浦今や幌舞線のターミナル駅である美寄駅長に昇進しています。
退職後はトマムのホテルへJRのコネで天下りすることになっていて、乙松にも一緒にトマムのホテルへ行こうと誘います。
(この杉浦仙次を演じている小林稔侍は、映画人生で故・高倉健さんと長いキャリアを共に歩みました。それだけに実に二人のやり取りが素晴らしいです。)
でも、乙松は首を縦に振りません。鉄道員(ぽっぽや)でなくなった自分など想像できなかったからです。
やがて、駅の業務をこなす乙松のもとへ、小さな女の子(山田さくや)が姿を見せます。
正月休みを使ってここまでやって来たのだと話した女の子は、帰り際に人形を駅に忘れていってしまいます。
最近あまり見かけないその人形は、生前の雪子に自分があげた人形とそっくりだったのを乙松は思い出します。
午後になって、その女の子の姉だと言う小学校6年生の少女(谷口紗耶香)が、人形を取りにきたと駅を訪れます。
人見知りしない彼女は、不器用な乙松にも親しげに話しかけ、そして彼の頬にキスをして帰っていきます。
また顔を見に来ていた杉浦に、そのことを話すと相手は雪女かと茶化されてしまいます。
杉浦も帰り、また一人になった駅へ、今度は高校生くらいの少女(広末涼子)が現れ乙松に声をかけます。
「また姉さんかい」と聞く乙松に、自分たちは近所に住む寺の住職の孫だと彼女は話します。
「鉄道が好きなの」と話す少女は本当に鉄道が好きらしく、二人は誰も来ない駅舎で楽しく会話を弾ませます。
更に少女は、乙松が業務のために出ていた間に、乙松のために鍋まで作ってくれます。
少女が作ってくれた鍋をすすって、乙松は感極まり、少女に「もういつ死んでもいいと」まで言って喜びます。
そこへ電話がかかってきて出てみると、寺の住職からの電話です。
そこで住職から「孫は帰って来てない」と告げられ乙松は驚きます。
電話を置き、振り返って、改めて少女の顔を見た乙松は、人形を忘れた女の子や6年生の少女にも感じていた既視感に確信を持ちます。
乙松の「ゆっこ(雪子)か?」という問いかけに、少女(雪子)は笑ってうなずきます。
死んだ雪子が幽霊となって、17年で成長していく姿を見せに来てくれたのです。
乙松はただ涙を流して、雪子を強く抱きしめます。そして、雪子もやさしく微笑んで抱きしめ返してくれるのでした。
乙松は、17年前に死に目にあえずにいた娘への長年の後悔の気持ちが、雪のように溶けていくのを感じました。
翌朝、冷たくなった乙松の亡骸が幌舞駅のホームで発見されました。
この終盤の乙松(故・高倉健さん)と雪子(広末涼子)のやり取りと、乙松がすべてを理解していくシーケンスは、本当に涙無しには見続けられません。
故・高倉健さんが本当に妻と大切な一人娘を亡くしたことを悔やむローカル線の駅長さんにしか見えない、素晴らしい映画でした。
未見の方はぜひご鑑賞ください。